兄に子供が生まれました。
埼玉で暮らしているので年に何度も会えないだろう。
明日、母が尋ねに行くそうだ。
母親は本当にうれしそう。
結婚して13年目だが、僕には子供がいない。
2人いる兄には2人づつ子供がいる。
長兄の子供は僕になついてくれている。
子供ってのは可愛い。
話をしていても自分の想像してる答えではない事を答えてくれる。
意外と子供の意見ってのは作品のヒントになったりする。
実際、人が入れる仏壇「カンタカ」は伝統工芸の勉強にきた小学生の一言がヒントになっている。
でも子供は作らない。
僕には昔から自分なりの幸福論ってのを持っている。
この話を人にするとよく説教をうける。
何故か僕を説得しようとする。
もしかしてちょっとおかしな論理なのかもしれない。
批判のある方もいると思いますが、どうぞお付き合いください。
僕の幸福論は完璧を望まないって事。
一つかけさせた幸せ、これが僕が望む幸福論です。
多くの人は全てを手に入れようとする。
お金、恋愛、仕事などなど欲するものは全て欲しい。
それは「欲」につながる。
得られなかった不幸となる。
僕は最初から一箇所欠けさせておく。
それが自分の子孫。
たぶん、名を残そうとしている自分にはもっとも必要な事なのかもしれない。
でも、何かを捨てる事で自分の望む事を手にしたいと思っている。
日光東照宮には「逆さ柱」という物が存在する。
わざと柱を一本だけ上下反対にして完成させている。
ようするに完璧に仕上げると、その後に待っているのは崩壊だという思想がそこにある。
理解できる。
結婚しない人、子供がいない人ってのが普通じゃないって思う人が結構多い。
普通が一番だと思っている。
僕みたいに普通の生き方を選択しなかった人の生き方は普通の人には理解されにくい。
普通に生きていて手に入れられる程、僕の望む人生はきっと甘くない。
逆に僕の活動は子供がいないからできる。
夢なんて暮らすだけだったら、邪魔な存在だ。
現実という地に足をつけた生活をしなければいけない。
人生において冒険なんてもっての他だろう。
自分の子供を見せてあげられない事は親不孝かもしれない。
その分がんばろうと思う。
親が誇らしいと思う人間になってあげようと思う。





