御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

2007年08月の記事

アートマン

仏壇のデザインをするって事は奥が深い。
家具をデザインするのとはわけが違う。
なぜなら、仏壇は8職種、8人の職人が合作で作り上げるからです。


漆を塗るのは塗師
彫刻を彫るのは彫刻師
屋根を作るのは宮殿師
などと独特の名称があります。
それ以外にも金具、蒔絵、木地、金箔、呂色などの仕事があります。


デザインするにはその各職種の仕事を知らなければいけないんです。


そこが普通のデザインと違う所でもあります。


昔、三河仏壇組合で新商品開発で一般のデザイナーさんと仕事をした事があります。
デザイン重視なんで仕方がないんでしょうけど、
シンプルなデザインの仏壇を提案してきました。
僕が思ったのは「家具職人」の仕事だ。
お洒落だけど、その図面の中には仏壇職人をリスペクトする心は少しもこもっていない。
何百年伝承されてきた技術は必要ないなんて言われている気がした。


仏壇をデザインするのは仏壇屋以外には無理だと自覚しました。


仏壇のコンクールで金賞をもらった事で僕の中でも何か道が見えるような気がしていました。
仏壇と仏壇職人の地位向上をコンセプトにある事をする決心を決めました。


世の中に出てみよう。
仏壇が芸術として通用するのか試してみようと思ったのです。


そして僕は「アートマン」という名前で東京ビックサイトで開催されたザインフェスタに一人で出展しました。
まるで何かに背を押されるように東京まで荷物を積み込んで必死に車を走らせました。
正直何も出来なかった。
それでも「仏壇の技術は通用する」という確信だけは得ることができました。
オンリーワンだからね。


地元に帰って仲良くしていた若手の職人に「アートマン」の活動と方向性を話し、仲間にならないかと誘った。


そして仏壇職人チーム「アートマン」が誕生した。


結成1ヶ月後、初めてグループとして出展したアートイベント「クリエーターズ・マーケット」で最優秀ブース賞をもらってしまいました。


現在は名前を「アートマン・ジャパン」として活動中です。
10月17日から名古屋のナディアパークにて初の個展を開催します。
詳しくはアートマン・ジャパンのホームページ
http://artman.tv/


ちなみに「アートマン」とはサンスクリット語で「自我」「真我」という意味です。
日本でいう所の魂に近い言葉です。
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アミターバ 無量光明

少し忙しくしていて日記を書く時間がなかった。
久しぶりに何を書こうかなって思った時に僕の最大の趣味(多趣味の僕が一番長く続いている趣味)について書きます。


僕は実は「活字中毒」ぎみです。


本を読む事が僕の一番の楽しみです。
仕事の合間の休憩時間は全て読書に使っています。
小遣いの使い道が占める割合も結構、本の購入資金が多いです。


まぁ、そんな前置きはさておき。


面白かったなぁって本を紹介しようかなって思います。


一応、仏壇職人ですから最初の一冊は仏教系小説なんかどうでしょうか?


玄侑宗久さんの本「アミターバ」です。
芥川賞作家で僧侶の方です。


老人が死んでいく心、魂という物の可能性をノンフィクション風に書いた小説です。
内容はさほど面白くはないけど、リアルな感じってのが読み終わってから残っています。


自分のおばあちゃんが小説の主人公と同じような病気で死んでいきました。
こんな気持ちで死んでいったのかなって感じましたね。


死んだ後には何が残る?
死んだ後にも世界がある?


死後体験者の経験(心臓停止後に再び息をふきかえした人の記憶)を元に小説風にしてあります。
「あの世」好きな人は必読かもしれませんね。



アミターバ 新潮文庫 \362

あの世の歩き方

あの世の歩き方

去年出版した「あの世」について書いたイラスト本です。

「あの世」の思想ってのは宗教っぽいですけど、
殆どが民俗学的な方が多いです。


あの世を暗いイメージにするのは死が関係しています。
もちろん「霊」という存在もですね。


最近、スピリチュアルってのが流行っています。
単純にスピリチュアルを訳すと「霊」なんだけど言葉が優しい響きなので恐い感じがしませんよね。


「あの世」もそんな感じにとらえれば良いと思います。
まだ宇宙という存在が解明されていなかった頃に「宇宙旅行」に行くのと同じです。


量子力学なんてのが現れて仏教的な思想を科学で表現できそうな時代になってきました。
「あの世」の存在も発見される日があるかもしれません。


まぁ、そんな突飛な事よりも昔から伝わるあの世という日本的な思想を一冊にまとめています。
テーマは「あの世旅行のツアーガイド」
人が死んで生まれ変わるまでを「あの世」の観光名所と共にイラストにして紹介しています。
「輪廻転生」と「因果応報」の思想がこの本の2本柱です。


内容については後日。

ネットでの購入方法はアートマンのホームページにアップしています。
http:/artman.tv/

お盆について

夏の宗教最大行事がもう直ぐやってくる。
我々仏壇業界にとっても一年で一番忙しい時期だ。


盆の由来をサンスクリット語で「逆さづり」を意味するウランバナを漢字で表記して盂蘭盆会(うらぼんえ)になったという説をよく耳にします。
でも、この説は今では通用しません。

話としては面白いので「逆さづり説」に触れてみます。


お釈迦様(buddhy)の弟子に目連さんってのがいます。
神通第一の超能力者だったそうです。
その超能力で死後の世界を見ていると自分の母親が餓鬼道という地獄に落ちて逆さづりの刑にあっているのが見えた。
お釈迦様に相談すると、亡者救済の供養方法を教えてもらった。
言われたとおりにすると目連さんの母親は地獄から抜け出し舞い上がるように天上界に昇っていった。


これをきっかけに盂蘭盆会が行われるようになったという説です。
この事が「盂蘭盆経」ってのに載っているそうですが、
随分後に作られた経文なので信憑性にかけるので「こんな話もあるのか」程度に覚えておいてください。


実際は日本古来、たぶん縄文時代頃から先祖を供養する行事がこのお盆時期にあったようです。
先祖供養ってのは仏教の専売特許のようになっているけど、
それに手を出し始めたのはそんなに昔ではないんです。


特に仏教は「霊魂」って物の存在は認めていないんです。
「輪廻転生」って生まれ変わるのが仏教の原則ですから、
あの世から毎年お盆の時期に祖霊が帰ってきては道理が通らないんですね。
でも日本に元々ある「先祖供養」のルールは簡単に覆す事ができずに仏教の方が歩み寄ってきた所があります。
そんな柔軟な姿勢って日本の宗教らしくて僕は好きですけどね。


あの世から祖先がキュウリで作った馬に乗って急いで来てもらい、
ナスで作った牛に乗ってゆっくりと帰ってもらいたい。
そんな気持ちでお供えを作る日本人が古来から持っている祖先を敬う優しい気持ちってのは良いですよね。


お盆くらいは面倒って思わずにお墓や仏壇に手を合わせましょう!

宗教と信仰の違い

前回の日記で「供養する為じゃない仏壇」という言葉を使った。
不思議な感じがした人もいたかもしれません。


昔読んだ本の中に「宗教と信仰は分けるべき」と書かれていた。
その言葉に素直に共感しました。


日本には独特な宗教観がある。
縁起の良いものは何でも大好き。
宗旨宗派なんて気にするのは宗教家や出家の僧侶だけ。
クリスマスだった初詣だって楽しければイベント化してしまう。
でもそれが宗教なんて気はちっとも持っていない。
それが日本の独特な懐の深さである。


日本の事の勉強が足りない外国人にはこの懐の深さが全く理解できないようです。
欧米様式のYes,Noの2択では理解できない「中道」の精神が日本には宿っているんです。


「中道」ってのは読んで字の如し、ど真ん中の道って意味です。
さらに仏教の最強の最高の奥義……と僕は思っています。


綺麗過ぎては駄目、汚すぎても駄目。
勉強しすぎても駄目、遊びすぎても駄目。
極端になっては道を見失ってしまうって事です。


話が随分とずれてしまいました。


僕の仏壇創りの基本のこだわりがあります。
供養する為に使う仏壇は伝統的な物を作り、
自分の信仰している仏像を飾る物は自由なスタイルで作る。


先祖供養ってのはどうしても宗教儀式にのっとって行われます。
仏壇も宗教用具の一部である以上、宗派の教えに出来るだけ忠実な仏壇でなければ供養する意味がないと僕は考えます。
何百年も昔から伝わっている物を簡単に形を変えてはいけないと思っています。


骨董品屋さんで購入したアンティークな仏像を仏壇の中に入れてしまうのは逆におかしな事だと思う。
せっかく、自分が好きで購入した仏像を「信仰」しようと思ったのならちゃんとした場所に祀りましょうってのが僕の考えです。
ここには宗派ってのは存在しない。
だから自由にデザインして製造しても問題はない。
僕はこの分野でデザイン仏壇、アート仏壇ってのを提案しています。


だから僕の提案するアート仏壇を「おばあちゃんが亡くなったら買う」なんて言ってくれる人には「宗教と信仰」の話をして理解してもらっています。


伝統的な供養仏壇と斬新なアート仏壇はちゃんと住み分けして世の中に浸透していってもらいたいと思っています。


余談ですけど、中には仏像を沢山仏壇の中に入れると仏像同士が喧嘩して縁起が悪いって事を言うお坊さんがいたりします。
立体曼荼羅のある京都の東寺なんて大喧嘩しちゃいます。
仏教は日本の思想と一緒で懐が広いんです。
だから日本人の心にスムーズに浸透していったんだと思います。
仏さん達は「罰を与える」という事をしない。
でも敬う事は必要だと思います。

仏壇デザイナーへの道2

想像できない事を他者に想像させる事ってのは結構大変です。

特にその頃の僕は職人仕事は全くやっていなかった。
今では考えられないけど、確実にインテリ風な男でした。

たぶん、職人さんが嫌うタイプ。
「かっこつけ」的に見えていたんじゃないかな?
親がやっている仏壇屋の跡を継いだ「おぼっちゃま」。
正直、なめられていたと思います。


そんな僕が職人さんに仕事をやらさずにおかない秘策を考えた。
それは試作品を自分が作ってしまう事。
平面図面ではなく、立体図面を持って行くことにした。


ホームセンターで木材を購入。
仕事場に殆ど使用しないような状態だった道具を引っ張り出した。
カンナやノミの刃を見よう見真似で研いだりしました。


正直何回か失敗しながらも形だけは見られる物に仕上がりました。
もちろん、職人さんのレベルには程遠かったですけどね。


出来上がった立体図面と平面図面、さらにイメージ画。
これだけ持っていけば多少なりとも僕の情熱だけは伝わったようです。
その後は結構スムーズに出来上がりました。


「夏の火鉢、旱(ひでり)の傘」
僕の尊敬する戦国武将の「黒田官兵衛」の言葉です。
人心掌握するには、夏に火鉢を抱えるような、雨の降らない日照りの日に傘をさすような、無駄とも思えるほどの事が必要であるという意味です。


適当、お任せ、作業を円滑に進める為に長年作られた「仏壇製造」における慣例を壊すのは案外と大変でした。
職人さんって公務員に良く似ていた。
冒険をしない。
失敗を恐れる。


それを理解してあげる。
全責任を自分がとると決める。
僕が初めて「供養をする為に使わない仏壇」を製造した時に心に決めた事です。


この時から僕の仏壇デザイナーとしての自覚が備わったと思います。


そしてこの仏壇は全国の仏壇のコンクールで金賞を受賞しました。070806_1728~0002.jpg

仏壇デザイナーへの道

全国の仏壇のコンクールに初出展、そして見事に撃沈してから1年後。
自分の中に新たなコンセプトが目覚めてきました。

ちなみにコンクールは2年に1度。
まだ準備期間は1年残っていました。

今回のコンセプトは「曼荼羅」
仏教の世界感を仏壇に取り込む事にしました。

仏壇は極楽浄土を表現しています。
*極楽浄土は阿弥陀如来が住んでいるあの世の世界(本尊が阿弥陀如来じゃないと極楽とは言いませんけど)
だからギンギラギンなんです。

僕は地獄、浄土、人間開を表現しました。
仏壇の上の方に浄土、下が地獄、中間に地上を作りました。

浄土は京都の東寺に何度も足を運んで立体曼荼羅をモデルにしました。
それを真似た小さな仏像を何体も配置させました。

地上は昔のインドの経典から引用しました。
昔の人は地球を球体だと考えていませんでした。
丸いお盆形だと信じられていました。
丸いお盆を数等の巨大な象が支え、象は巨大な亀の上に乗って乳海を泳いでいると伝えられていました。

お盆の下には地獄が存在すると考えられていました。

それを僕なりにデフォルメをして図面を書きました。


そして職人さん達を集めて会議を結構。
前回の過ちを犯さないようになるべく若手の職人さんに来てもらいました。
僕が図面を見せて、仕事の依頼しました。
職人さんから返ってきた答えは「出来ない」でした。

ちなみに形は8角形。
本来何も細工をしない後ろ側にも扉を作ったりするデザイン。
全く今までにない仏壇の形で職人さんが戸惑うのも無理なかったかも。

この時感じたのは「出来ない」=「作れない」んじゃなく、
「出来ない」=「自信が無い」って事。

そんなニュアンスを感じて僕は作らなきゃならない用に追い込む方法を考えつきました。

このつづきは後日の日記にて

はじめまして

オリジナルの仏壇を作り始めたのは8年前。
全国の仏壇のコンクールに出展する為でした。
「作りたい仏壇がある」と親父に嘆願して、自分の意見で少し小ぶりな仏壇を製作した。
テーマは「美しい」だった。
美しい四角の仏壇を作るために「黄金比」で仏壇の寸法を計算した。

ちなみに黄金比ってのは短辺と長辺の比率が1:(1+√5)/2 の四角形で
人が見て一番美しいと思う四角形の事。

職人さんにきっちりとした寸法を書いた図面を持っていくと
「そんなきっちりとはできない」
とはっきりと言われた。

自分のコンセプトを持って職人さんに理解してもらおとしたが、
職人さんは自分の作りやすい方へ勝手に変えられてしまった。

その頃付き合っていたのは親父が抱えていた職人さん達。
親子程、年齢の離れた僕の言う事を全く相手にするわけがない。
逆に「仏壇の事を何にも知らないくせに」と説教をされた。

確かにそうだった。
仏壇を美しくしたいと思ったのは外面。
製造する方向は全く見ていなかった。
まだ20代だった僕は全体が見れていなかった。

妥協の末に出来上がった仏壇は職人さんには評判が悪かった。
全国の仏壇コンクールでは全く賞に入らなかった。
真剣に取り組んでいたから、発表の時は涙が出そうになる程悔しかったのを今でも覚えています。

それが僕の仏壇デザイナーとしてのデビューでした。

業界で不評だった僕の最初の仏壇は直ぐに買い手が見つかり、
現在、店内に飾れているのは3代目。
3人目の顧客を静かに待っています。
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