御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

2007年08月の記事

宗教と信仰の違い

前回の日記で「供養する為じゃない仏壇」という言葉を使った。
不思議な感じがした人もいたかもしれません。


昔読んだ本の中に「宗教と信仰は分けるべき」と書かれていた。
その言葉に素直に共感しました。


日本には独特な宗教観がある。
縁起の良いものは何でも大好き。
宗旨宗派なんて気にするのは宗教家や出家の僧侶だけ。
クリスマスだった初詣だって楽しければイベント化してしまう。
でもそれが宗教なんて気はちっとも持っていない。
それが日本の独特な懐の深さである。


日本の事の勉強が足りない外国人にはこの懐の深さが全く理解できないようです。
欧米様式のYes,Noの2択では理解できない「中道」の精神が日本には宿っているんです。


「中道」ってのは読んで字の如し、ど真ん中の道って意味です。
さらに仏教の最強の最高の奥義……と僕は思っています。


綺麗過ぎては駄目、汚すぎても駄目。
勉強しすぎても駄目、遊びすぎても駄目。
極端になっては道を見失ってしまうって事です。


話が随分とずれてしまいました。


僕の仏壇創りの基本のこだわりがあります。
供養する為に使う仏壇は伝統的な物を作り、
自分の信仰している仏像を飾る物は自由なスタイルで作る。


先祖供養ってのはどうしても宗教儀式にのっとって行われます。
仏壇も宗教用具の一部である以上、宗派の教えに出来るだけ忠実な仏壇でなければ供養する意味がないと僕は考えます。
何百年も昔から伝わっている物を簡単に形を変えてはいけないと思っています。


骨董品屋さんで購入したアンティークな仏像を仏壇の中に入れてしまうのは逆におかしな事だと思う。
せっかく、自分が好きで購入した仏像を「信仰」しようと思ったのならちゃんとした場所に祀りましょうってのが僕の考えです。
ここには宗派ってのは存在しない。
だから自由にデザインして製造しても問題はない。
僕はこの分野でデザイン仏壇、アート仏壇ってのを提案しています。


だから僕の提案するアート仏壇を「おばあちゃんが亡くなったら買う」なんて言ってくれる人には「宗教と信仰」の話をして理解してもらっています。


伝統的な供養仏壇と斬新なアート仏壇はちゃんと住み分けして世の中に浸透していってもらいたいと思っています。


余談ですけど、中には仏像を沢山仏壇の中に入れると仏像同士が喧嘩して縁起が悪いって事を言うお坊さんがいたりします。
立体曼荼羅のある京都の東寺なんて大喧嘩しちゃいます。
仏教は日本の思想と一緒で懐が広いんです。
だから日本人の心にスムーズに浸透していったんだと思います。
仏さん達は「罰を与える」という事をしない。
でも敬う事は必要だと思います。
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