御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

2011年10月の記事

いよいよ40路に突入

年齢ってある程度人生の区切りになるんですよね。


29歳の時に自分の仕事の未来に不安を持って、アートの世界に進むようになりました。
海外製品の流入で仏壇の売り上げがどんどん落ち込んで行くと予想したからです。
あれから10年、予想していた通りの現実が待っていました。
伝統的工芸品の三河仏壇の生産はがたんと落ち込み、一気に衰退してしまう恐れすらあります。


そういう自分がアートで成功したかといえば疑問ですね。
失敗ではないでしょうが、成功ではない。
今まで自分のやってきた事に疑問すら持つことはありませんでした。
今年起きた2つの出来事があるまでは。


1つは三河仏壇の復興を本気で目指したジャパンブランド事業の不採用。
仏間をオシャレにすることで仏壇自体の存在価値を高めるとともに、仏間で使用するインテリア小物の制作を実施、それを海外に売り出そうとしたプロジェクトです。
自分の店の仕事もほっぽり出して、数年間心血を注いできました。
支援者も増えて、これからって時に梯子を外されて……自分の自信とともに情熱さえも一気に沈下していきました。
不採用に明確な理由がないのが、さらに理不尽さを増加させました。
人生において一番大きな挫折感を味わった事件だったかもしれません。


39歳まで自分のやってきた事に迷いはなかったのですが、これを機会に自分の中でモチベーションがぐんぐんと下がっていきました。
本当に初めての経験だったかもしれません。


2つ目は東日本大震災です。
あのショッキングな映像を見て、なんとかしなくてはと思いました。


29歳の時に三河仏壇の将来がダメになると思って他ジャンルの世界に飛び込んで活路を見出そうとしたように。
39歳で日本がこのままではダメになると思いました。
とは言っても毎年赤字経営の店を家族だけで経営している小さな仏壇屋にできる事はたかがしれています。
なので自分の技術で奉仕できる事を探している間に、津波被害の位牌を修復するボランティアにたどり着きました。


このボランティアが立ち上がるのは多くの偶然と素晴らしい出会いがあったからです。
あなたの進む道はコチラで正しいのですよっと神仏が言っているかのように導かれ、今に至っています。


職人ユニット「アートマン」を立ち上げたときもそうでした。
偶然、三河仏壇青年部の総会での懇親会でのテーブルが一緒だったメンバーです。
強引に仲間に引っ張り込み、物つくりが一緒にできる環境を作り上げました。
あの時だってお金なんかなかった。
モチベーションが高かっただけ、将来を確約された事など一切なく、すべてがギャンブル。
成功したかと思えば、壁にぶつかり、それを超えの繰り返し。


モチベーションが下がっていてはダメだと、再び本気にさせてくれたのが被災地でした。
被災地の心の復興なんてカッコいい事言っていますが、自分の復興をしているのかもしれません。


激動だった自分の30代、がむしゃらだった。
ただ進む道を探して五里霧中で見えたと思った道が通行止めで、また引き返す、そんな繰り返しの中でたどりついた40代。
「30にして立つ 40にして惑わず 50にして天命を知る」 孔子の論語とおりです。


本日から40歳の覚悟を決めて前に進んでいきたいと思います。
いろいろな所から誕生日おめでとうのメッセージやメールをいただいてありがとうございます。
多くの知り合いができたのも30歳の活動の成果ですね。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。