御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

最近の供養事情について勉強をはじめる

ドイツ個展が終わって直ぐの6月に名古屋のギャラリーで企画展が1ヶ月開催される予定です。
まだ内容は言えませんけども。


だが、大きな問題というのか大きな欠点が……。
アートマンの作品が売れる可能性が低いという事。
新進気鋭すぎて、斬新するぎるという評価。
消費者に浸透するには時間がかかるという事です。


褒めてもらっているんでしょうけどもね。


確かに僕にとってもビジネスに結びつけるという事は大きな課題。
自分なりに僕らの作品がどこに落としこめるのか考えています。


まずは現代の供養事情の勉強をする為に書籍を5冊ほど購入。
まだ1冊読んだだけですが、勉強になりました。


今まで宗教サイドでしか供養を見ていなかった気がします。
供養をしたい人が求めている事が何なのかが少し分かりました。


ここに歩み寄らなければニーズの掘り起こしは難しいんだろうな。
形よりも先に遺族の思いに歩み寄らなければダメなんだろうね。
仏壇は僧侶サイドの物ではなく、遺族サイドの物だろうから。


詳しく知りたい方はNPO法人手元供養協会のHPへ
http://www.temoto-kuyo.org/


本を読んだ中で共感できたのは樹木葬についてです。
なくなった人の骨をお墓に入れるんではなく、土に埋めてその上に木を植える埋葬方です。
自然にかえるという日本古来の発想に近いし、また木となって生まれ変わるという発想は輪廻転生にもつながる。
その上、花が咲けば素晴らしい景観となって人びとの心を和ませる。


そんな話をいつもお世話になっている近所のお寺の若さんにしたら、いいねって話になりました。
あじさいで有名な花の寺なので、墓石の墓よりも樹木が沢山あった方が絶対に絵になる。
いつかやりたいですねって話になりました。


千の風になってって曲がヒットしてから墓石に対するアレルギーが表面化してきました。
石がかもしだす冷たさが嫌なんでしょう。


少し前だったら死んだら何も残らないから何でもいいって考え方の人が多かった。
でも最近では自分の死んだ後の事を真剣に考える人が増えてきている。


死後を見つめる行為ってのは暗い事のような気がしますが、今を生きるにはとても最高の考え方かもしれません。
残された人の事を思いやる事ができますから。
でも好きなことをやって、後は高みの見物なんて頑固親父の生き方も素晴らしいですけどもね。


でも、骨になってもいつも近くにいて欲しいと思ってもらえるのは幸せな事だと思います。
その気持ちを宗教が邪魔をしてはいけないのかもしれません。
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