御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

深溝(ふこうず)松平公

現在アートマン展を開催中の幸田町にある本光寺さん。
ここは徳川家康の親戚でもある深溝松平の菩提寺として有名です。
勇猛果敢な三河武士がここにまつられています。


今回、深溝松平の7代目当主でもある松平忠雄公のお墓から数々の埋葬品が出土して急に注目度があびました。
この埋葬品を見にお寺を訪れる人も増えてきました。
埋葬品が一人歩きしている帰来があります。
注目を浴びている時ですので深溝松平公をもっと多くの人に知ってもらいたいです。


深溝松平公について僕が去年書いたエッセイがあります。
ぜひそちらを読んでもっと深く本光寺さんを楽しんでもらいたいです。
現在、宝物館で配布している本光寺案内図の裏面に書かれている文章です。



深溝松平公とは

 戦国最強の三河武士。
そう人々に言わせる理由は「主君の為に命を投げ出す」事ができる武士達の集合体だったからです。
特に深溝松平にはその色が濃い。
その理由として戦国時代を生き抜いた4代目までは全て戦で討ち死にしているのです。


 特筆したいのは4代目の松平家忠公。
家康に対する忠義はまさに命をかけた物でした。
関ヶ原の合戦前に戦略的にどうしても負けなくてはいけない合戦がありました。
それが伏見城での合戦です。
大将の鳥居彦右衛門と共に伏見城に残ったのが松平家忠公です。
(詳しく知りたい方は司馬遼太郎著「関ヶ原」を読んでみてください)
10万の軍に2千の兵で戦い、見事に散った最期は三河武士の勇猛ぶりを天下にしらしめる事となり、その後の関ヶ原の合戦において家康へ勝利を導く事となりました。


 その武士の中の武士「深溝松平家」の菩提寺がこの本光寺である。
 本光寺の境内の東西に御廟所があり歴代の松平家を祀っています。
神殿石造の墓前にある小判石は家臣・領民のおまいりしている姿を現しています。
規模荘厳ともに日本一だと言われています。


 特に西御廟の深溝松平4代の墓標にはぜひ手を合わせてください!
戦国時代、太平の世の中を望んで命を差し出した本物の武士が眠っています。





この4代当主松平家忠公は日記をつけており、それが歴史の証言としてよく引用されています。
現在その日記は東京の駒沢大学に保管されております。
織田信長、豊臣秀吉の栄華と衰退の歴史を目でみた家忠公の日記がどれほど素晴らしい物かは想像できますよね。
今まで地味な存在でスポットを浴びることが無かった深溝松平家。
きっと今後は調査が入り、その人柄の素晴らしさが注目を浴びることとなるでしょう。



だって、家臣や親族から好かれていなければこれほどの埋葬品を入れてもらえるでしょうか?
その素晴らしさを感じとって埋葬品をどうぞご覧になってください。


本光寺宝物館は金・土・日・月とオープンいたします。
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