御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

お墓参りで命の恩人と出会う

まだ小学校に入るか入らないかの頃の話です。
その日は確か12月30日。
大晦日前日の事です。
毎年、年の暮れには僕の家の兄弟は隣町の母の実家に預けられていました。
仏壇屋という仕事は盆前と正月前が書き入れ時。
男兄弟3人(ちなみに僕は末っ子)を構っている時間がない親は僕らをおじいさんの所へ数日間行く事になっていました。


その頃の僕はいじけ虫でした。
直ぐ何かあると泣けてしまう子供でした。
学校の授業で指されて答えれなかったら泣いちゃうような弱い子でした。


おじいさんの所には僕ら兄弟以外にも沢山従兄弟が集まってきました。
母方の兄弟は殆ど商売をやっていてからです。
7人くらいいたのかなぁ。
その中で僕はやっぱり一番年下だった。
ひょんな事で年上の従兄弟や兄にいじめられて、泣きながらおじいさんの家を飛び出しました。


僕が行ったのは近くの公園。
1人でブランコに乗って寂しくユラユラしていたら、従兄弟たちと楽しく遊んだ思い出が蘇ってきました。
この公園ではよく鬼ごっこをして遊んでいました。
僕の隠れる場所はいつも土管の中。
何となく、その土管に入ってみたくなりました。
幼い僕はその行為が命を脅かす事になるとは思いませんでした。


僕が入った土管は丁度子供の身長ほどのサイズで地面から垂直に立っていました。
僕は土管に飛び乗り中へスルスルっと入り、すっぽり体が隠れてしまいました。


そんな時、僕が帰ってこない事に不安になった従兄弟や兄が探しに来てくれました。
何か見つかるのが恥ずかしかったのかな?
僕は土管の奥へ身を潜めました。
その時、僕の足が何かに引っ掛かりました。
後になって分かったのですが、それは水道の蛇口でした。
僕の小さな足が上手に蛇口と地面に出来た隙間に入り込んでしまったのです。
何とか抜け出そうともがけばもがくほど、僕の体は土管の下の方へ。
足だけではなくひざや腰が土管に引っ掛かり身動きが出来ない状態へ。
何とか動く手を伸ばしても土管の外へ出す事も出来なくなってしまいました。


泣き叫んでも無駄でした。
土管のコンクリートが壁になって外部には殆ど聞こえませんでした。


この公園があった場所の周りには民家が全くなく、あるのはミカンの温室だけ。
殆ど人通りのない場所でした。
かなりの時間泣き叫んでいましたが、どうにもなりません。


人間ってどうしよもなくなったと思ったら状況受け入れるんです。
僕も次第に冷静になってきました。
いろいろな事を頭で考えました。
今でも覚えているのはゲッターロボ(ゲッター2)がドリルで地底から助けてくれるって本気で考えていた事です。
助かる人間は希望を忘れないんでしょうね。


しかし、どんどん日が暮れていくのだけは分かりました。
土管の中で本当に寂しくなっていきました。
何がきっかけだったか分かりませんが、僕は急に大きな声を出して助けを求めました。
そうしたら、土管を覗き込む人が……。
偶然、ミカンの温室の様子を見に来たおじさんでした。
その後、母親が聞いた話ですが、「助けて」って小さな声がかすかに聞こえたそうです。
空耳だと思ったそうですが、念のため声のした方へ入ったら土管の中に僕がいたそうです。


その後、沢山の大人が集まって土管を掘り起こして僕を救出してくれました。
救い出された僕は泣けて泣けてしかたなかった。
寂しいとか辛いとか痛いとかじゃなくて、自分が恥ずかしくて泣けたような気がします。


その僕を救ってくれたおじさんの奥さんとお墓場で一緒になりました。
奥さんは80過ぎのおばあさんになっていました。
僕を助けてくれたおじさんはお墓の中。
そのお墓に線香をあげて手を合わせてきました。
奥さんは「ありがとね。おじいさんが喜ぶよ」なんて言ってくれました。
僕はこのおじさんに2度しか会っていません。
1度目は助けてもらった時。
2度目は高校生の時に会いました。
あの時は「あの土管に入った子か?」って言われて、何か恥ずかしくて満足にお礼も言えなかった。
高校生ってそんなもんですからね。
その後、生きていたおじさんには会う事がなかった。


本日おじいさんの墓参りへ行って良かった。
ちゃんとかなぁ。
お礼ができたような気がします。
これからおじいさんのお墓と一緒にお礼に行こうと思います。


ちょっと長くなりましたが、そんなお墓での出会いがありました。
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