御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

本光寺寺宝展のプレス発表に行ってきました

明日から幸田町図書館ギャラリーにて開催される本光寺寺宝展「深溝本光寺は墳墓の地なり」のプレス発表に参加させてもらいました。
スタッフ扱いにしていただいた本光寺の副住職や幸田町役場の方々ありがとうございました。


今回は学芸員さんから直接説明を聞きながら、深い感銘を受けました。

展示会では撮影禁止ですが、広報の立場で特別許可していただきました。
幸田町へは来れない方々へ本ブログのみで見せれる範囲を公開させていただきます。



まずは深溝松平家についてお話を聞きました。
戦国時代のこの家系は壮絶です。
2代目・好景公は三河吉良家との戦いで討ち死。
3代目・伊景公は長篠の合戦で討ち死。
4代目・家忠公は伏見城の戦いにて討ち死。
主君家康の為に命を投げ出す勇猛果敢な三河武士らしい死に方をされています。
4代目の家忠公については、連歌、茶道、香道をたしなんでいた事が自書の「家忠日記」にて記述されています。
特に戦国時代の文化人の里村紹巴(さとむらじょうは)や小堀遠州、狩野探幽等とも交流があったようです。
家忠公は勇猛果敢なだけでなく「風流人」というのがぴったりの知的でお洒落な人物だっと思われます。
前田慶次郎を彷彿させるような武将だったと思われます。



その家忠公の肖像画がこちらです。
戦国武将らしい甲冑姿。
渋い。
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肖像画の上部には家忠公の武勇伝?らしき漢字の文章が書かれています。
その中には織田信長や石田光成という名前も見つけられます。
時間のある方は探してみてください。
SANY0113.jpg
(画像をクリックすると大きくなります)



この家忠公が伏見城の戦いで使っていたといわれているのがこの槍です。
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これはただの槍ではありません。
武勇の誉れ高い源為朝公が使っていた矢じりを槍に改造した物です。
織田信長から貰った物かもしれないとか……凄すぎです。



武具つながりでサザエ型の変わり兜も展示されています。
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こちらは3代目・伊景公が長久手の合戦の時に使用していた物です。
この時討ち死にしていますので、家臣が必死に守りぬいたのでしょうね。




そして今回の展示会のタイトルとなった「深溝本光寺は墳墓の地なり」というのを家訓にしたのは5代目・忠利公です。
その肖像画はこちらです。
SANY0114.jpg
5代目からやっと城持の大名になりました。
石高は少なかったのですが、伊達政宗や島津家と交流があったと日記にかかれています。
簡単に戦国のスーパースターの名前が出てくるのでため息がこぼれてしまいます。



もちろん忘れていけないのは、7代目・忠雄公。
去年の東海豪雨にてお墓が傾き、修復を兼ねて調査したら大量の宝物が出土した事で一躍有名になってしまいました。
今回の展示会でも出土品も展示されています。
これは石棺のフタのレプリカです。
ここにも「深溝は墳墓の地」の文字があります。
SANY0121.jpg
深溝松平家にとっては幸田の地は特別の物だったのだと思います。
領土だった長崎県の島原で亡くなっても遺体だけは深溝の地に埋葬したのです。
現在でも近いとはいえない長崎と愛知県。
その当時では大変な事だったと思います。
祖先の心情を貫き続ける凄い一族だと思います。


出土した印籠も今回も水につけて展示されています。
本光寺の宝物館で見た時よりも照明などがなされているので見やすいと思います。
SANY0119.jpg



もっともっと紹介したい事は山ほどあります。
本当に素晴らしい一族であるという事を沢山の人に知ってほしいです。
前回いろいろな事情で展示できなかった物も出展しています。
明日の中日新聞にて結構大きな扱いで掲載されると思います。
どうぞお楽しみにしていてください。



それから今回の展示会はもの凄い混雑が予想されます。
ぜひ初日の早い時期に来られるのをおススメします。



本物の戦国は三河にあります。



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