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御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

今更ながら徳川家康のようにならなければ

郷土の英雄「徳川家康」公の遺訓の出だしです。
「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し」
実に深い。
清濁を飲んだ人間だから出てくる言葉なのかもしれない。


徳川家康は前半の人生と後半の人生が極端に違うと言われています。
なので家康がかなり早い段階で死んでいたという説が結構頻繁にでてきます。
影武者説です。


僕は徳川家康という人物は苦境を乗り越え成長していったのだと思います。
というのか人生全てが苦境だった人だと思えます。
幼少期は人質、今川家から独立しても織田家のパシリ、豊臣時代に未開の地・江戸に飛ばされ、関ヶ原で勝利し独自政権を作りだすも豊臣の反抗、豊臣征伐の汚名をきせられ、現在でも狸親父のイメージは消えずと。
徳川家康が人生の間でよかった時期なんてないのではと思います。
ただ平和な世の中を作りたいという子供のような夢に進んでいたのではと思われます。
まさに清濁を飲むという結果、悪しきイメージがついてしまったようです。


歴史を勉強していくと、家康という人物が理解しがたい行動に出ている場面が何度もあります。
桶狭間の合戦後の行動、姉川の合戦への参加、三方ヶ原の合戦、そして本能寺の変の前の安土城での接待など結構若い頃の家康は無謀なギャンブルを平気でやって生き延びています。
関ヶ原でも小早川の裏切りがなければ大敗です。
歴史は結果がでているので、我々はあ~だこ~だ言えるのですが、1度たりとも余裕のある戦いなどないはずです。
あのやり方はずるいとかね。
歴史は大河ドラマじゃないんですよ。


僕の人生の前半戦は家康同様負け試合が多い。
(スケールがかなり違いますが……)
しかし、本当に負け試合から多くの事を学んでいます。
いろいろと考えさせられる経験をするたびに家康公の出てくる本を読んでいます。
常にウルトラCで乗り越えた徳川家康という人物に学んでいます。
そろそろ仏壇ナイトを復活させて、三河武士がどんだけ凄かったのかだけを伝える戦国武将ナイトをやらなければなんて思ったりもしています。


急に仏壇ナイトの告知です。
8月に豊田市足助町のライブハウス「足助のかじやさん」で行います。
9月には京都で開催予定。
日程が決まり次第また告知いたします。
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