御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

僕が思う物つくり論「技術に走らない」

僕が一番こだわらないのは技術の向上。
技術の向上は目的ではなく結果だと思っているからです。
長い年月かけて作るから自然と技術が向上していく。
若い職人(昔の僕も含む)は早く一人前になりたいと思ってしまう。
その思いは一番最初に目を良くする。
仕事の良い、悪いが見えてしまう。
自分の仕事の悪さが恥ずかしいのだ。
上手くできるはずはないのにね。
そしてそれは他者の仕事の出来の良し悪しもわかるようになる。
技術がなくて売れている人を悪く言いたくなるものだ。


僕が作ってきたものは異形である。
駄菓子のように駄工芸と呼ぶべきような物です。
でも僕が作りたかったのもその分野なのです。
理由は簡単です。
もっと身近な所に仏壇及び仏壇職人を持っていきたかった。


僕らが作ってきた「三河仏壇」は国から伝統的工芸品に認定されています。
300年以上まえからこの土地で受け継がれてきた物であります。
しかし、その仏壇は最低でも数百万円、固いのは数千万円する物まであります。
宗教心のある時代は、気持ちよく仏壇にお金をかけてくれました。
今は悲惨なものです。


物が売れなければ伝統は守れない。
伝統職人が暮らせなければ、伝統は無くなります。
どんなに技術が素晴らしくても消費者がいらないと言われたら終わりです。
伝統も仏壇もどうでもよい、僕が欲しいと思う物を作ろうと思ったのです。
それが伝統の技術で「駄」な物をつくるというスタイルです。
僕は「伝統職人の無駄使い」と名付けました。
代表的なものが「心を磨くセット」です。
木彫りで荒く掘ってもらった心を同封してあるサンドペーパーで購入者が綺麗に磨くという駄洒落を具現化した商品です。
このアイデアは「NHK美の壺」という根付けの本の中で掲載されていた物をヒントに作成しました。kokoro1.jpg
上から見ると何を磨いているのか分からないのですが、下からみると心という文字を磨いている根付けです。
kokoro2.jpg
この遊び心に僕はズキューンってきちゃうんですよ。
江戸時代には物づくりに遊べる余裕があったような気がする。


「駄」を否定すると無駄になります。
それはイコール面白くない物です。
物づくりの世界は無駄を排除したがります。
効率が良いからです。
でもそれは人の心を離していくことになるような気がしています。
もともと小ロット生産しかできない伝統的な工芸の世界に効率を求めて面白くない物づくりすることが無駄だと思います。


心を磨くを作り始めて、一緒にやっている彫刻師が「男を磨く」と「女を磨く」を考えて作ってくれました。
伝統工芸士の肩書きがある男が作ってくれています。
まさに伝統職人の無駄使いって事で。
まずは気取らない物づくりを本気でやっております。
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