御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

壁について考える

元来、日本の住宅には壁が少ない。
柱の上に屋根を乗せて、襖や障子で間仕切り部屋を作る。
人が集まるときには障子や襖を外せば大空間が作れるユーテリティな構造である。
もちろん、一番奥の部屋に仏間なる先祖のための空間を作ってきた。


こういう構造の家は防犯には不向きである。
知り合いが気楽に入れるように、泥棒も気楽に入れてしまう。
実際、僕が20歳になる頃まで家に鍵をかけるという風習がなかった。
こんなの世界的に稀な環境だと思う。


世の中の流れの変化だろうか、最近は気密性の家が出来、それと共に祖先のための空間「仏間」も作らなくなってきた。


防犯にはいいが、日本らしさがなくなってきた。
家には壁が多くなり、個々のスペースが増え、そして無駄なスペースは極力排除されてきた。
削られたのは祈る空間だった。


日本の住宅に壁が増えることで日本らしさを失い、人を疑うようになってきたのかもしれない。
またフレキシブルな考え方も失いつつあるあるのかもしれない。
日本特有のイエスorノー以外に存在する「どちらともいえない」って感性が僕は好きだ。
どちらか選べってのが日本人には向いてない。
この優しい民族にはノーの中にイエスを見つける事を得意とする能力が備わっている。
古来、仏教が日本にやってきた時にも神仏習合というミラクル技で宗教戦争を避けた。
こんな感性は日本人しか持ってない。


日本の住宅が壁を持つようになったのは海外との交流が頻繁に始まってからだ。
いつだって日本は海外の文化を取り入れ柔軟に変化させている。
臨機応変な国民性を誇りに思うべきだ。


現在の国際状況で壁とは何であるかを考え、そして日本ができる対応が何であるを考えることができれば良いのではないだろうか?
西洋から持ち込まれたくだらない二元論に陥らないようになってもらいたいと思う。


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