御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

職人にあこがれる職人でありたい

先日ラジオの取材で「職人にあこがれる職人」と自分を表現した。
実際、僕は半商人半職人の仕事をしている。
仏壇の修理をやりながら、仏壇屋の仕事もやる。
仏壇屋以外にもデザインやって文章も書くし、企画もする。
全く違う頭が必要になることをゴチャゴチャになりながらまとめているようなもんだ。

しかし、職人仕事は要である。
なぜなら、多くのアイデアは職人仕事をしている時に浮かぶ。。。というのか頭の中で整理される。
特に仏壇を組み立てている時に頭に浮かんでくる。
頭に浮かんでしまったら最後、職人仕事は手につかなくなる。
クリエティブなスイッチに切り替わってしまうからです。

僕のお爺ちゃんは仏具職人でもあり農家であった。
手先が器用だった爺ちゃんは農業の合間に職人仕事をした。
非日常の物を作る職人は兼業作業で丁度よいのかもしれない。
僕が背負う伝統なんて少し前はそんなもんだった。
そう思うと気楽ではある。

お爺ちゃんのやっていた仏具の仕事は海外で作られるようになって親父が仏壇に技術を転用させた。
いまどきの言葉で言うならイノベーション。
土地と仏壇って比例する。
土地が売れれば先祖のおかげだと感謝して良い仏壇を買ってくれた。
先祖が大切に守ってきたものを手放す罪悪感もあったのかもしれない。
だから日本の成長とともに仏壇は売れた。
職人も忙しかった。
手仕事は大量生産に向かないし、人材入れても技術を習得するのにも時間がかかる。
皆忙しかった。

そして急に高額の仏壇が売れなくなった。
本当に急だった。
生産スタイルはお爺ちゃんの時代のように半分職人で丁度よくなった。
スタイルは同じでも今から良くなる時代と良くならない時代では気持ちが違う。
制作するモチベーションが違う。
伝統は急に守らなければいけない時代になった。
今までと同じことをやっても守れない時代になった。

ただそれだけ。
今までと違うことをやる。
それだけなのだが、伝統の世界ではそれが一番難しい。
長年かけて自信をつけてきた自分の技術と作り上げてきた商品。
それが職人のプライドだろう。
僕はそんなプライドはない。
僕は半分職人だから持っている技術は恥ずかしいものだ。
今の時代はそれでいいと思っている。
ただ「職人にあこがれている職人」というスタイルはずっと持っていたい。
01数明
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