御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

救世主に自分がなればいいんだよ

伝統の世界に身をおく自分として「救世主」を求めていると感じることがおおい。
良くわからないデザイナーの意見を聞いて商品開発して失敗ばかりする。
確かにシャープなデザインを提案してくれる。
でもその多くは伝統技法を生かしたデザインなんかしてこない。
つまらないマーケット的な理論を振りかざして、「この時代にはこんな物が売れているんですよ」とそれっぽい資料を沢山用意してくる。
この新商品がきっと我々伝統の仕事をしている者を助けてくれるはずだと信じているのだろうけども、大抵はデザイン料がゲットできれば良い程度の提案なのでそれが売れるはずもなく失意におちいる。

期待していた分だけ落胆はひどい。

伝統の商品の多くはデザインがダサいから売れないと思っている。
デザインの専門家に見てもらえば、自分たちの苦手な分野を補えると思っている。
僕たちと一心同体で伝統復興をやってくれる救世主が現れたなんて錯覚してしまう。
それがそもそも間違いなのだ。

デザインが苦手だったら、絶対自分で猛勉強してでもデザインを真剣に学ぶべきだ。
僕だって30歳の頃までデザインなんてやったことなかった。
だから初期のものはダサいものが多い。
だけど、自分でデザインした。
何故なら職人を生かすデザインなんて外部の者にできるはずがないと思っていた。
自分らが苦手なものは時間かけてでも克服し、能力を高めるしかないと思っていた。
誰かに救ってもらおうなんて思って何度も歩み寄ってがっかりさせられた経験が多々あるからだ。

何でも10年かかる。
デザインだってシャープな提案するのには10年かかる。
物づくりだって一緒だ。
思ったことを10年やりつづければ自信になる。
1年、2年で結果をだせる世界なんて1、2年で飽きられる世界だ。
今は苦しくても続ければ何とかなる。
事を成し遂げようと思えば10年くらい苦労して丁度良いのだ。
10年の苦労は人間を成長させるからとても大切なことだと思う。
その苦労がいつか花開くのだが、その苦労がいやだから「救世主」を求める。
だが時間だけは裏切らない。
技術だけは裏切らない。
だから救世主を求めてはいけないと思う。
特に自分が失敗したからね。
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