御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

「デザイン哲学:生きるって全て遊びなんだよね」

 御駄物な話も10話目に突入したし、そろそろ僕のデザインの内面について書いてみようと思う。
伝統的な仏壇で木地を製造する時に重要になってくるのは「遊び」と呼ばれる1ミリ以下の隙間を作ることです。
なぜそうするのかと言うと、木で作った仏壇は漆を塗らなければいけない。そ
の塗りの厚みを考えて作らなければ完成時に綺麗に仕上がらないんだよね。
その隙間の遊びを知らない他業種の職人が作るとパーツの見た目は良いけど、組みあげてみたらおさまりが悪いなんて事がある。

 世の中がデフレになった頃から「無駄」は悪いことのように言われてきた。
駄の無い世界は機能的かもしれないが、僕にとっては面白味がない。
無駄をそぎ落としてスタイリッシュなデザインを求めるのはクールなんだろうが、僕は好きじゃない。
何かお洒落の押しつけみたいな気がする。

 日本人の美意識に詫びとか寂びがある。
それとは別に粋って感覚もある。
詫び寂びは貴族的、粋は庶民的なお洒落って感じを僕は感じています。
なんとなくわかると思うんですが、僕は粋な感じが好きなんです。
粋な文化は詫び寂びと比べれば断然下品です。
でも粋って言うくらいだから生き生きとしている。
粋の文化にはやっぱり遊び心があるんだと思う。
その遊び心に庶民はワクワクするんだと思う。

 僕が政治の手伝いをしていると「彼は政治家」を目指しているんだって勘違いする人がいる。
僕にとっては政治家の手伝いも遊びなんです。
被災地ボランティアだって僕にとっては遊びの延長上。
現地に行って知り合った人と酒が飲みたいだけだったりする。
その遊びの中で学ぶことが沢山ある。そしてその遊びが視野を広くしてくれるし、気持ちが熱くなりすぎるのにブレーキをかけてくれる。

 職人は頑固じゃなければいけない。
ある意味で正解だし、ある意味では間違いだと思っている。
技術についてはストイックに守り抜いていく必要があるが、作る物は挑戦しつづけていかなければいけない。
そこに必要なのが遊びという心の小さな隙間だと思う。
僕の仕事場にはくだらない玩具がいっぱいある。
駄は一日してならず。
常に面白い事にアンテナをはっており、面白いことを見つけたら角度を変えて色々な方向から見直す。
視点を変えることで古いものが新しく見える場所がある。
その一瞬を見つける為に沢山の知識を頭にいれる。
無駄こそが新しい物を生み出す源だと僕は考えている。
だから遊ぶのだ。

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