御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

「デザイン哲学2:バックグラウンド」

 作品や商品を作るときに必ず意識するのは「日本」らしさです。
それも自分の感じる日本です。
僕は高校卒業後、4年間アメリカに行っていました。
仏壇屋の3男に生まれて、親からは自分の進む道を自分で見つけろと言われて育ってきました。
小さな頃から自分探しを強制的にさせられていたような気がしています。
才能のない人間が自分のやりたい事なんて簡単には見つけられません。
やりたい事がないのに何を勉強すればよいかも分からずに、出会ったのが落合信彦さんの本でした。
単純に世界を飛び回るジャーナリストってハードボイルドでカッコいいなぁって感じてしまった。
落合信彦さんがアメリカの学校に通った事で人生が変わった話を本の中で見つけて、僕もとりあえずアメリカの大学に行こうと決めたのです。

 自由の国だけども、自分のやりたいことを見つけられる訳ではありません。
自由とは実に不自由だと気が付きました。
何でもできるが故に悩む。
しかしながら、アメリカの国は大きな視野を与えてくれました。
そして、日本の素晴らしさも再認識させてくれたのも確かです。
帰国後、日本はバブル崩壊で空前の就職氷河期。
仕事がなかったのでバイト感覚で都築仏壇店で働き始めて現在に至っています。
仏壇屋で働き始めた頃は二男が店を継いでいたのですが、僕が漆塗りの修行に行っている間に父親と喧嘩して店を出て行ってしまいました。
その結果、自由に生きつづけた三男の僕が店を継いでしまったのです。

 こんなバックグラウンドで生きてきて伝統をひたすら守る道を進むわけがありません。
グローバル化の流れの中で、日本の伝統が大きく変革しなければいけない時期だと大きな視野で見ればすぐわかります。
しかし、誰も動こうとしませんでした。
伝統をもっと日の当たる場所にもっていく、これこそ自分の人生をかけてやる仕事なんだろうなって若き日の僕が思ってしまいました。

 当然ながら、伝統を変化させていく事は衝突を生み出します。
若いころは四面楚歌。
僕の行動は誰からも褒められることなどなく、多くのお叱りをうけました。
理解していただけなかった人たちからも10年続けてきた頃から、芯がある行動だとは認めてもらえるようになりました。
自分の中の伝える力も格段に上達してきたのだと思います。
しかしながら、新作を発表する時は今でも「誰かに怒られないか」常にビクビクしております。
特にソーシャルメディアの発達している現在はビクビク度がかなりアップしています。
それでも沸々と湧いてくるアイデアをカタチにする事は間違いなく面白いから止められません!

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