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御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

嘆きの牛 前半

漆牛

 この作品は2012年3月12日に福島の浪江町に行った事から始まります。
僕は2011年3月11日に発生した東日本大震災の巨大津波で傷ついた位牌を直すボランティアを行ってきました。
そのアイデアって言うのか指令をいただいたのが江頭2:50さんが所属する大川興業の社長であり芸人の「大川総裁」です。
江頭さんがトラックで物資を運んだってのは有名な話なのですが、総裁は全ての被災地の小さな漁村まで訪れ、現地のニーズを聞き出して的確な支援をしていたのです。
被災地を歩いた総裁が目にしたのが傷ついた位牌だったという訳です。
「都築さん、何とか位牌を直してあげてください」って言う電話から、大川興業ボランティアに巻き込まれていくことなりました。

 福島の浪江町は東京電力福島第一原発から20キロ圏内にある町です。
当然ながら当時は完全に立ち入り禁止地区でした。
一般人が入れない地域で吉沢さんという方が今でも牧場を経営しています。
誰もから見捨てられた牧場の名は「希望の牧場」です。
吉沢さんとの出会いは全くの偶然でした。
僕と大川総裁が支援物資を届けに行った場所に偶然来ていたのです。
吉沢さんが現場をぜひ見てほしいと言う事で吉沢さんの運転で20キロ圏内にある希望の牧場に行きました。
当然ですが、道中すれ違う車はありません。
途中にあったコンビニの店内は震災発生時のまま。
人だけが消え去り、時が止まった町を抜けて人里離れた山の中に牧場はありました。

 牧場に100頭を超える牛が元気そうに放牧されていました。
その当時の政府がある決断を決めたことによって吉沢さんの戦いが始まったそうです。
20キロ圏内にいる家畜は全て殺処分にすること。
しかし、吉沢さんは我が子のように育てた牛たちを殺すなんて出来ないと牧場経営を今でもやっています。
殺処分の命令がでている動物にエサを持ってきてくれる業者はいません。
吉沢さんは自分のトラックに積めるだけのエサを運ぶのですが、十分な量を確保はできない。
その結果、力ない牛が死んでいってしまう。
これも一つの震災被害なんだろう。
人間だけではなく、動物も供養してあげられるオブジェを作れないかという吉沢さんの要望で現地に大川総裁と入っていったのでした。

(後半へ続く)
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