御駄物な話

伝統的な技法を駆使して天上天下唯我独特なデザインを生み出す駄な物づくり哲学

カテゴリー "仏事" の記事

おくりびとの奥にある仕事

「おくりびと」が取ったね。
僕らの業界としては明るいニュースかもしれない。
僕は映画は見ていないけどね。


去年個展で仏壇をニューヨークに持っていった時に思った。
マイナーな日本独自文化は簡単に受け入れられない。
僕らが作る仏壇は特にそう。


今回の納棺師のような職業はユダヤ文化にもあるそうだ。
文化のバックグラウンドがあるというのは理解が早い。


映画も個展も案外短い時間で心を同化させる必要がいる。
説明が長いアートなんて退屈でしかたない。


日本文化をアメリカ文化に歩み寄らせなきゃいけないのも少し悔しいけども、とても必要な事だったりする。
欧米コンプレックスなんだろうね。


でも僕も日本の素晴らしさを海外に伝えたいと思っている一人だ。
そのために海外流に変化させる必要はきっとある。


アートは理解させるための入口にすぎない。
その奥にある仏壇の深い精神性や技術を伝えるための入口。


文化のない地域だからこそ、伝える方法は大切になる。


海外に尻尾を振るような感覚になるのは僕がまだ未熟な証拠。
素晴らしい事をやっているのだから伝えなくちゃって思ったニュースでした。


結果が残るのはすごいことだ。

あの世講座・フォローアップ

昨日のあの世講座のフォローアップです。
資料に載っていなかったお話をこちらで紹介しておきます。
参加できなかった方もぜひお楽しみください。



●お釈迦様の生まれ変わりについて
 あるところにサルとキツネとウサギの3匹が仲良く暮らしていました。
ある時帝釈天がみすぼらしい老人の格好で3匹の前に現れました。
3匹は飢えて死にかけている老人になにかを食べさせようと、それぞれ食べ物を探しに行くことにしました。
サルは木の実をたくさん取ってきました。
キツネは魚をつかえてきました。
しかしウサギは野山をあちこち探し歩いたが、なにも見つけることができませんでした。
そこで、ウサギは老人に薪に火をつけてくれるように頼みました。
ウサギは仲間達ににっこりと微笑むと、燃え盛る炎の中に飛び込んでいきました。
ウサギは自分の身を食べてもらおうと考えたのです。


 人を助けるために自分を犠牲にしたウサギの体を老人の姿に化けた帝釈天が火の中から抱きかえると、月に連れて行き永遠の命を与える事にしました。
それ以来、月にはウサギが住むようになったそうです。


このお話のウサギがお釈迦様の前世であるとも言われています。



●蘇民将来(そみんそらい)と牛頭天王
津島神社に祭られている牛頭天王の話をした時のお話です。
http://www.clovernet.ne.jp/~m_hotta/


牛頭天王が蘇民将来という者が住む村で一晩宿を借りようとしました。
最初に宿を借りようとした家は蘇民将来の弟の家でした。
その弟は裕福だったのだが牛頭天王が気味悪く冷たく断りました。
次に訪れた蘇民将来は貧しい家でしたが、快く宿を貸し丁寧にもてなしをしました。


実は牛頭天王はこの村を滅ぼそうとして来たのです。
丁寧にもてなしをしてくれた蘇民将来の子孫は助ける事にしました。
目印に「蘇民将来の子孫」の印として「茅の輪」を飾るようにと指示しました。


今でも関西では厄除けのお札として「蘇民将来の子孫」は使われています。



●如意輪観音(にょいりんかんのん)に会えるお寺
何でも願いを叶えてくれる如意輪を持つ美しい観音菩薩のお話。
女性との係わり合いが深いのがこの観音菩薩。
そんな如意輪観音に会えるお寺です。


奈良県・室生寺(女人高野)
http://www.murouji.or.jp/
滋賀県・石山寺(紫式部が源氏物語を書いた場所)
http://www.ishiyamadera.or.jp/ishiyamadera/flower.html



●立体曼荼羅
仏像で曼荼羅図を作っているのが立体曼荼羅です。
仏像フィギュアを使って説明したのですが、本物を見たい方はこちらへ。


京都・東寺(空海上人が作ったお寺)
http://www.pref.kyoto.jp/isan/kyouou.html



●興福寺の阿修羅像の作り方
乾漆作りという特殊な作り方で出来ていますという話。
作り方の詳しいサイトを見つけましたのでこちらをご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/basaranihonshi/basara4kanshitu.html



今回はかなりテキストから脱線したトークばかりになってしまいました。
それもまた面白かったのかなって思います。


僕もまだまだ知らない事がありますので、もっと勉強します。
次回また「あの世講座」があれば、ぜひ参加してみてください。

境界について考える

昨日の日記に続き十牛図より感銘を受けたシリーズ。


それが境界についてです。
境界とは住む世界の事の違いです。
本から引用させてもらいます。


雀の境界は雀ではければ分からん。
鶏の境界は鶏でなければ分からん。
魚の境界は魚でなければ分からん。
この寒いのに水の中で暮らしておるが、まぁ気の毒なことじゃ。
かわいそうに、せめてお湯の中へでも入れてやったらなどというたら魚は死んでしまう。
魚の境界が人間に分かるはずない。


同じクリエーターでも世界を目指す人と目指さない人では境界が違う。
なぜ金にもならない事をするんだろうって疑問に思うだけで答えは導き出せないだろう。
志の違いは大きな隔たりを生んでしまう。


志の大きな人は志の小さな所へ行くことはできる。
しかし、志の小さな人は大きな人の所へ歩み寄る事さえも出来ないだろう。
居心地が悪くて仕方ない。


紳士は乞食になれるが、乞食は紳士にはなれない。


紳士にも乞食にもなれる境界のない人間が素晴らしいのだと思う。

最近の供養事情について勉強をはじめる

ドイツ個展が終わって直ぐの6月に名古屋のギャラリーで企画展が1ヶ月開催される予定です。
まだ内容は言えませんけども。


だが、大きな問題というのか大きな欠点が……。
アートマンの作品が売れる可能性が低いという事。
新進気鋭すぎて、斬新するぎるという評価。
消費者に浸透するには時間がかかるという事です。


褒めてもらっているんでしょうけどもね。


確かに僕にとってもビジネスに結びつけるという事は大きな課題。
自分なりに僕らの作品がどこに落としこめるのか考えています。


まずは現代の供養事情の勉強をする為に書籍を5冊ほど購入。
まだ1冊読んだだけですが、勉強になりました。


今まで宗教サイドでしか供養を見ていなかった気がします。
供養をしたい人が求めている事が何なのかが少し分かりました。


ここに歩み寄らなければニーズの掘り起こしは難しいんだろうな。
形よりも先に遺族の思いに歩み寄らなければダメなんだろうね。
仏壇は僧侶サイドの物ではなく、遺族サイドの物だろうから。


詳しく知りたい方はNPO法人手元供養協会のHPへ
http://www.temoto-kuyo.org/


本を読んだ中で共感できたのは樹木葬についてです。
なくなった人の骨をお墓に入れるんではなく、土に埋めてその上に木を植える埋葬方です。
自然にかえるという日本古来の発想に近いし、また木となって生まれ変わるという発想は輪廻転生にもつながる。
その上、花が咲けば素晴らしい景観となって人びとの心を和ませる。


そんな話をいつもお世話になっている近所のお寺の若さんにしたら、いいねって話になりました。
あじさいで有名な花の寺なので、墓石の墓よりも樹木が沢山あった方が絶対に絵になる。
いつかやりたいですねって話になりました。


千の風になってって曲がヒットしてから墓石に対するアレルギーが表面化してきました。
石がかもしだす冷たさが嫌なんでしょう。


少し前だったら死んだら何も残らないから何でもいいって考え方の人が多かった。
でも最近では自分の死んだ後の事を真剣に考える人が増えてきている。


死後を見つめる行為ってのは暗い事のような気がしますが、今を生きるにはとても最高の考え方かもしれません。
残された人の事を思いやる事ができますから。
でも好きなことをやって、後は高みの見物なんて頑固親父の生き方も素晴らしいですけどもね。


でも、骨になってもいつも近くにいて欲しいと思ってもらえるのは幸せな事だと思います。
その気持ちを宗教が邪魔をしてはいけないのかもしれません。

夏が終わっていく

お盆が終わると我が家の仕事は秋彼岸に向かっていく。


気分は秋です。


そのおかげか?少し涼しくなってきました。


お提灯が並べれられていた入り口付近もこんな感じで殺風景
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さびしく五重の塔が残るのみ。
少し前まではこんなんだったんですがね。
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店内で季節を感じます。


今日からこの場所を改装します。
改装といっても僕一人で適当にやるだけですけども。


店の入り口付近って顔でもあるのでお洒落にしておきたいですね。


心配なのは僕の腰。
何か痛めるのが癖になったかも。
最近、変な体勢で仏壇を持ち上げると痛めてしまう。


自分の衰えも感じる季節の変わり目です。
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